何の「貨幣への需要」について話してるんだ?  ブラッド・デロング

下はブラッド・デロングのブログポスト”What Is This “Demand for Money” of Which You Speak?” 2010年9月30日の翻訳です。これは貨幣需要と倹約のパラドックスについての、ウルフ(日本語訳)→ベックワース(日本語訳)→デロング(ここ)→クルーグマン(日本語訳)→サムナーという一連のブログポストの中のひとつです。
タイポ・誤訳等ありましたら、コメント欄にお願いします。
追記:ayakkaさんの指摘をうけて引用部分のタイポを修正しました。ありがとうございました!
 
 
何の「貨幣への需要」について話してるんだ? 2010年9月30日

現在生産されている財とサービスへの需要不足という我々のこの大きなマクロ経済問題が、もし流動性のある現金、つまりあなたのポケットの中にあって、決済の為に使われ、交換の媒介として機能するものの供給不足の結果なのならば、現金への代替となるもの全ての価格は非常に低くなっているはずだ。流動性のある現金の束を積み上げるために人々はその他の保有資産を投売りしようとするだろうから、それを押し止めるにはそういった代替のものの価格が非常に低くなり、その期待収益率が非常に高くならなければならない。よって、流動性のある現金の不足により引き起こされた不況では、たとえば政府債券などの利子率は非常に高くなっているものと予想される。政府債券は貨幣の安全性という特徴を共有し、また購買力を未来に移転する為の貯蓄手段としても働くが、交換の媒介として現金ほどの流動性がないためだ。
にも関わらず、デビッド・ベックワースは下のように書いている。

Macro and Other Market Musings:マーティン・ウルフ、倹約のパラドックスと貨幣への超過需要
ウルフは更なる借り入れこそが、まさに経済が今必要としているものだと結論している...[彼の]倹約のパラドックスのアイデアは、貨幣への超過需要により貨幣的な不均衡が生じているということの別の表現以外のなんでもない。そして勿論、貨幣への超過需要は貨幣の量を増やす事で解決するのが一番だ。苦痛に満ちた他の手段は、貨幣需要が貨幣供給に等しくなるまで、貨幣の超過需要が現行の支出総額を減らしてデフレを起こさせることだ...倹約のパラドックスには連銀が仕事中に居眠りしている事が必要になる。

倹約のパラドックスがなぜ本当は貨幣の超過需要の問題でしかないのかを説明させてもらおう...各家計は貯蓄をする事ができる...消費支出を減らし、貨幣を退蔵することによって...所得を株や、債権、あるいは不動産に使う事によって...負債を返済することによって...支出を減らすことで、所有する貨幣を増やす...超過需要を生み出し、そして苦痛に満ちた調整プロセスがはじまることになる。しかしもしも、連銀が増加した貨幣需要に見合うように供給を調整したならば、その苦痛に満ちた調整は回避できる...後の二つのケースにおいては資産が購入され、負債が返済されて貨幣が資産の売り手か債権者に移動している。これらにおいては、苦しい調整が起こるには、その売り手や債権者、あるいは貨幣の交換の連なりのさらに先にいる誰かが貨幣を退蔵しなくてはならない。もし債権者や売り手が貨幣を退蔵しないならば、その貨幣は支出と価格の安定を維持し続けることになる。まったく結構な事だ。そうすると、倹約の促進が経済全体での問題となるのは、それが貨幣への超過需要につながる時だとなる...貨幣理論(Monetary Theory)の根本的な主題は、各家計はその貨幣のストックを望ましい額まで調整する事ができるが、経済全体としては出来ない...

ベックワースの主張の穴は、私が考えるに、彼が「連銀が貨幣供給を調整する」と述べる時、どうやるのかを述べていないところにある。まさに我々がそうであるような状況、つまり人々が安全資産のストックを積み上げるために現在生産されている財とサービスへの支出を減らそうとしている状況を考えてもらいたい。安全資産とは、人々がその富を保持できるもの、目を離している間に消えてしまう事がないと安心できるもののことだ。人々は現在生産されている財とサービスからその支出を移して、安全資産のストックを積み上げようとしている。極度に低リスクでとてもよい担保のついている民間の債権や、政府証券、そして流動性のある現金などをだ。さてここで、連邦準備が政府証券を現金で買って貨幣供給を増やしたとしてみよう。確かに貨幣の供給は変わった。しかし、短期の政府証券の金利はすでに非常に低いのだから、もし貨幣の価値がその流動性からではなくその安全性から来ているなら、家計とビジネスがいまだに安全資産が足らないぞと、現在生産されている財とサービスへの支出をさらに削らなければと感じるだけのことで、貨幣供給の拡大は何の効果も持つ事はないだろう。貨幣のストックの増加はその流通速度の低下により相殺されてしまう。経済の中の取引を促進する貨幣の総額(the transaction-fueling balances of the economy)は変わらない事になる。連邦準備により作られた追加の貨幣は、家計とビジネスが所有しようと望む貨幣以外の安全資産のストックの低下により引き起こされた貨幣への追加の予防的需要により吸い上げられてしまうからだ。

よって、確かにベックワースが貨幣への超過需要があると言うのは正しいが、連邦準備がそれを単に「貨幣供給を調整する」ことで解決できると述べるのは間違っている。問題は、根っこにある問題が完全雇用下での安全資産への計画需要がその供給を上回っていることである時、公開市場操作による貨幣供給の増加は貨幣需要の同じ規模の増加により相殺されてしまうという事だ。安全資産として政府債券を持っていた人達がそれを手放すと、かわりの安全資産として流動性のある貨幣への需要が高まるからだ。

貨幣供給を増やす事は助けになりえる。ただし、連邦準備が安全資産の供給を一定に維持するというその政策を守らずにそれを行なえば、だ。追加の現金を刷って、政府にそれを使わせる。ヘリコプターから追加の現金をばら撒く。政府に支出をさせて、それを借り入れによりファイナンスさせ、政府負債の追加の形で追加の安全資産を作り出す。民間債権を保証して、安全なものにする。短期の安全な財務省証券についてではなく、他のリスキーな資産について公開市場操作を行って、公開市場操作が経済の安全資産のストックを一定に保つのではなく、増やすようにする。

これらは全て、貨幣供給を増やす、あるいは流動性のある資産としてではなく安全資産としての貨幣への予防的な需要の一部を新しく作り出された貨幣以外の安全資産に移すことで貨幣への実質的な需要を減らす方法だ。

これらは全て上手く働くはずである。主がお許しになられ、問題が起こらなければ(the Lord willing and the creek don’t rise)。

しかし、貨幣への超過需要が問題だと述べるのは、私が思うに、ミスリーディングだ。それでは貨幣のストックを増やす通常の手法、経済の中の安全資産の総額を一定にしたまま流動的な現金とその他の資産を交換する公開市場操作もまた上手く働くかのように示唆してしまうからだ。そしてこれまでで、それが上手く働かないという多くの証拠を我々はすでに得ていると私は思う。

そして、追加の現金を刷って政府にそれを使わせる、ヘリコプターから追加の現金をばら撒く、政府に支出をさせてそれを借り入れによりファイナンスさせて政府負債の追加の形で追加の安全資産を作り出す、民間債権を保証して安全なものにする、短期の安全な財務省証券についてではなく他のリスキーな資産について公開市場操作を行って公開市場操作が経済の安全資産のストックを一定に保つのではなく増やすようにする、といった別の手段を「金融政策」と呼ぶのは、私には大きな混乱につながるように思える。流動性のある現金への超過需要がそれ自体、より根本的な投資に対する(計画)貯蓄の、あるいは供給に対する安全資産の(計画)保有の超過からのスピルオーバーの結果なのなら、安全資産のストックと貯蓄手段のストックを一定にするように意図されている通常の公開市場操作ではうまくいきそうにない。そして、連邦準備の金融拡張が上手く働いたなら、それは貨幣供給を増やしたからではなく、より重要である安全資産の供給を、あるいは貯蓄手段の供給を増やしたからということになるだろう。

要点は、私が思うに、流動性のある現金は交換の媒介であるだけでなく、価値の保蔵手段、貯蓄の手段、そしてヘッジの手段、予防的な需要を満たすためにポートフォリオの中に組み込んでおける安全性の保管所であり、よって貨幣の取引の為の需要は全体のなかの一部でしかない、という事だ。しかし他の資産もまた価値の保蔵手段でありヘッジでもあるのだから、貨幣の供給と需要についてだけ注目すると、現在のような情勢においてのその働きの多くを見逃してしまうことになる。

私には非常に明らかに思えるこの事が、非常に多くの諸賢には明らかでない事には、いまでもフラストレーションを感じる。個人的には、大学院での私の初年度においてオリバー・ブランチャードがロイド・メツラー(Lloyd Metzler)の”Wealth, Saving, and the Rate of Interest”に三週間も費やさせた事にその責を置きたかったり、する。

追記:ニック・ロウがデビッド・ベックワースにコメントしている。

イエス!倹約のパラドックスなんてない。あるのは交換の媒介の退蔵のパラドックスだ。それは貨幣を買うのには二つの方法があるからだ。貨幣以外のものを売るか、貨幣以外のものの購入を減らすか。これら二つのオプションのうちの一つはいつでも個人には可能だが、全員にはそうではない。

セイの法則が間違っている唯一のケースは、交換の媒介である貨幣の超過需要(あるいは供給)がある時だ。

この意味においても「倹約のパラドックス」がある事を述べて、ニック・ロウを幸せにしておこう。

投資に対する(計画)貯蓄の超過があるとき、貯蓄者はその需要を満たすのに充分な債券を見出す事ができず、かわりに流動性のある現金に超過需要を振り向けることになる。よって彼らは、貨幣の取引需要に利用可能な貨幣の供給を減らし、そのインバランスがセイの法則を破る超過需要を作り出してしまう。ゆえに、問題は貨幣への超過需要ではあるのだが、通常の公開市場操作ではそれを解決できない。たしかに貨幣供給を増やす事はできる。しかしその他の貯蓄手段の供給を減らす事で、取引目的には利用できない貨幣のストックもまた増えてしまう。それらは貯蓄の(あるいは安全性の為の)手段として使われてしまうのだ。

これでなにか明らかになっただろうか?それともさらに闇が深まっただけかな?