教養教育の価値 by Tyler Cowen

9月21日にMarginal Revolutionに掲載されたTyler CowenのThe value of a liberal arts educationの訳。誤訳の指摘お願いします。


セス・ロバーツはこう書いている:

「教養教育」は誰も首尾一貫した擁護ができないくらい擁護するのが難しいのではないだろうか?

ブライアン・カプランがみずから教養教育を攻撃したかは記憶にないが、彼もまた懐疑的なようだ。

教養教育は、たとえ次の標準テストの点数を上げないとしても、私たちにより緻密な思考を与えてくれる。ここ州立大学のより少ない学生にさえも影響があることはわかっている。それは、大したことのない高校ばかりのアメリカにたくさんの傑出した大学院が存在するのかということを説明するのにも役に立つ。他のどれくらいの国が学部の間の教養教育を重視しているのだろうか?

教養教育は私たちが暗号システムを解読しなければならないよう仕向ける。私たちは、暗号システムがどれだけ複雑になりうるのか、それらを解読するのに必要なのは何か、なぜそれが楽しい過程になりうるのか、ということを学ぶ。そのスキルは将来のたくさんのキャリアパスで役立つだろう。あなたがテレビ番組をもっと楽しむのにも役立つだろう。

似たような理由だが、私は大人として第2言語を学ぶ人々は特に、他の人々がどのように物事を見ているのかということを理解するのが得意だと信じている。

私は食べ物だからというだけでなく、(いろいろなトピックの中での)食べ物に関心がある。私は暗号の意味、卓越した文化的慣例、アイディアの伝達、どうやって分野の細部が互いに密着して全体を形成するのか、ということを理解する上での投資対象としても食べ物を捉えている。私はこの知識が私をより賢くしてくれると信じているが、大量生産された形式ばったテストでその効果を測れるかどうかはわからない。私はこの趣味を、独学でも私の教養教育を続けているのだとして見ている。

すぐ近くで4年間の教養教育を受けているヤナを見て、彼女の学校はとても良い学校だと信じている。私は彼女が重要なことを何も学んでいないとまじめに考えてみたことは1度も無い。