ローレンス・サマーズ「今後の経済で金融政策がマクロ経済安定化の第一手段となるかは疑わしい」(2019年8月22日)

ジャクソンホールにおいて、経済学者はある主要な問題に取り組んでいる:中央銀行は、我々が知っているような、今後10年間の産業界におけるマクロ経済安定化の第一手段になり得るだろうか? 後に発表するAnna Stansburyとの共著論文では、この問いに疑問符を付ける。

金利引き下げの余地はもうほぼない。 1970年代以降の全ての米国の不況では連邦資金レートが500bpsを超えてカットされた。ほとんどのケースで実質レートは中立レートを400bps以上も下回った。今、最大限実行可能なカットは200〜300bpsで、実質レートは中立レートを150〜250bpsしか下回っていない。

先進国で金利が最も高い米国ですら、金利引き下げ余地は限られている。ヨーロッパと日本では尚更だ。

QEとフォワードガイダンスは、かなりの規模で試されている。

私たちはQE以降、フォワードガイダンス以降の世界に住んでいる。

あちこちで副詞を変更したり、記者会見のタイミングや予測を提示方法を変更したりといったことが為されているが、そのようなことが重要であるとは到底思えない。

我々は大抵の場合はジャネット・イエレンに同意するのだが、2016年のジャクソンホールでのスピーチの時点での、そして現在の10年物金利150bpの世界においては、既存の金融政策手段に対する彼女の楽観的な見方は間違っていると確信していた。

“Larry Summers: The Fed shouldn’t expect people to trust its current approach to the economy”

 

ブラックホールの金融経済学 − 金利がゼロに張り付き、まるで脱出の見込みがない状態 − は今やヨーロッパと日本では市場から確信的に予想されている。そこでは1世代に渡って実質的にゼロまたはマイナスの利回りとなっている。アメリカはそれらからわずか1不況分程しか離れていない。

あらゆる産業界において、失業率の急激な上昇のリスクは、インフレ率の急激な上昇のリスクよりも大きいように思われる(インフレの市場予想は明確に2%の目標を下回っている)。

世界中の経済学の学生に公理として教えられた一つのことは、金融当局が長期にわたって金融政策を通じて望んだインフレを生み出すことができるということだった。

この命題は、今や極めて疑わしい。

多くの人は、アルビン・ハンセンの長期停滞論が、現実によって誤謬だと証明されたと信じ込んでいる。

実際には逆で、世界を不況から解放するのにWW2を要したという事実は、彼の主張の正しさを証明するものだ。

軍備増強がなければ、流動性トラップによるデフレのシナリオは持続していたであろう。

こうした事態をブラックホール問題、長期停滞、または日本化と呼ぼう。

この一連の問題は、各国の中央銀行が懸念すべきものである。

ポストケインジアンの経済学者が長らく重視してきた上、最近Palleyが強調したような、”経済変動における特定の摩擦の役割は、総需要のより根本的な欠如に比べれば、強調に値しない”という考えに、我々も同意するようになった。

“The fallacy of the natural rate of interest and zero lower bound economics: why negative interest rates may not remedy Keynesian unemployment”

我々の次の論文では、現在コンセンサスとなっているような、中立金利の低下、インフレ率の低下、名目金利の実効的な下限という観点ばかりを注視するような見方に対し、我々が直面している苦境の過小評価に繋がりうると論じている。長期停滞は、もっと深刻な問題なのだ。

非常に低い金利にも関わらず低いままの名目GDP成長率は、単に中立金利が大幅に低下した証拠として解釈されているが、それだけに止まらない意義がある。

我々は、少なくとも、総需要に対する金利の影響が急激に低下してきたことも、金利が低下するにつれてマージナルな影響力が減少することも、同様に尤もらしいと考えている。

場合によっては、金利の引き下げが総需要を削減する可能性もある: 目標貯蓄行動、金融仲介者に対するリバーサルレート効果、不可逆的な投資に対する選択効果、及び財政赤字の低金利による算術的効果のためだ。 

上記のことは、教科書的なマクロ経済学の図解を用いると、非常に急峻なIS曲線、あるいは非線形のIS曲線、はてまた後方に曲がるIS曲線として描写することが出来る。

マクロ経済の安定化の中心的な問題が中立実質金利の低下であると考える場合(これは「オールド・ニューケインジアン」経済学と呼べるかもしれない)は、金利を十分低くすることができれば、金融政策は完全雇用を達成できるということになる。

これとは対照的に、長期停滞の観点で我々は「ニュー・オールドケインジアン」経済学と呼ばれ得るものを概説した。

そこでは、金利引き下げは、たとえ有効であっても、総需要に対して僅かな刺激効果しか持たず、最悪の場合は逆効果になる。

さらに、以下に示す様々な理由から、金利を下げることで将来的な経済パフォーマンスの低下を齎す可能性がある。

第一に、金融不安定性だ。

かの金融危機は、2001年の景気後退以降の需要維持のための努力によって引き起こされたバブルと過剰なレバレッジにルーツがあった。

日本の1980年代後半のバブルは、1987年の株式市場の暴落以降の低金利と緊縮的財政環境にルーツがあった。

第二に、企業のゾンビ化のリスクがある。

債務返済に直面していない企業は、テストを受ける必要がない学生のようなものだ。
彼らは無頓着に、そして最終的にはうまくいかないまま漂流することができる。
さらに、低金利は独占力の増大とダイナミズムの低下を齎らし得る。

第三に、銀行の破綻のリスクがある。

低金利は銀行の利益とフランチャイズバリューを圧迫し、いかなる資本規制水準においても、不利なショックに対する脆弱性を高めることになる。

第四に、金融政策の有効性のさらなる低下のリスクがある。

低金利が「借入」需要を将来から現在へと切り替えさせる(企業や消費者が投資・耐久財購入を前倒しするという形で)という点を鑑みると、現在の低金利は、将来での金融政策効果のさらなる低下を示唆するかもしれない。

マクロ経済学者がフォーカスすべき真っ当な論点は、適切な総需要の保証である。

我々は、中央銀行が「そうした障害は制御下にある」「今ある政策手段を用いれば、そうした障害は制御可能である」と提唱するのは危険だと考えている。

特に財政赤字の持続可能性にとって低金利またはマイナス金利が意味することを考えると、財政政策に大いにフォーカスを当てる必要がある。

しかしながら、需要水準は構造的政策の影響も受ける: 例えば、賦課方式(pay-as-you-go)の社会保障、退職年齢の引き上げ、社会保険の改善、民間インフラ投資への支援、貯蓄性の高い富裕層から流動性に制約のある貧困層への再分配といったものが挙げられよう。 

1970年代の高インフレと高金利は、マクロ経済的思考、政策、制度に革命を齎した。過去10年間の低インフレ、低金利、停滞はより長く、深刻であり、最低でも同等の対応に値する。

我々はそうした革命がジャクソン・ホールのテーマ「金融政策に待ち受ける障害」(”Challenges for Monetary Policy”)から沸き起こることを願って止まない……が、我々はあまり期待してはいない。

※本エントリは、ローレン・サマーズのツイッターの一連の呟きを、望月慎が翻訳したものを、本人の許可に基づいて、WARE_bluefieldが代理で投稿したものである。