「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」by ステファニー・ケルトン(2019年2月21日)

ttps://www.bloomberg.com/opinion/articles/2019-02-21/modern-monetary-theory-is-not-a-recipe-for-doom

翻訳者より、本エントリを楽しく読むための背景として。
2月12日、クルーグマンがアバ・ラーナー(MMTの源流の一人と位置付けられる)の機能的財政論にかこつけて、機能的財政論は金科玉条にならないよ、というコラム(ここ。大部分の引用の邦訳はこちらに)を書いた。

ここでご紹介するコラムでは、これまでの10年近い論争をまったく踏まえないクルーグマンのやり口にケルトン先生が襲い掛かっておいでです。モズラーやミッチェルをバンバン引用する痛快エントリをお楽しみくださいませ。

ただし、クルーグマンに対し「そんなに債務が怖いなら明日から国債やめちゃわないの?」、みたいにMMT全開なので、このあたりの話に不案内な方は、モズラーのこちらのエントリをあらかじめご覧になっていただければ便利とおもいます。

それでは!



ポール・クルーグマンが初めてMMTについて書いたのは2011年3月25日のことだった。ごく最近は、2019年2月12日13日に2部構成のシリーズを書いた。しかし彼はほぼ10年間、基本的な考え方を誤解し続けたままだ。

このことを取り上げる理由は二つ。まず、2008年にノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンの言葉に人々は耳を傾けてしまうこと。もう一つは、彼の議論のアプローチとは、何百万人もの米国人に影響を与える経済政策をデザインするときの核心に位置しているものと同じものだからだ。ここでは彼の関心事項に合わせて議論を進めよう。

彼は「MMTとは1943年のアバ・ラーナーの『機能的財政論』の教義とほとんど同じものだ」と切り出す。続いて機能的財政論の批判を行い、「これはMMTにも当てはまる」と言う。

MMTがラーナーの機能的財政論とほとんど同じだというのは正確でない。 MMTは確かにラーナーの「国家の創造物としての貨幣」などの仕事から洞察とインスピレーションを受け継いではいる- しかし、MMT関連の研究を主としてしている米国の学者は、ハイマン・ミンスキーウエイン・ゴドリーの貢献が重要だとも論じている。たいていはラーナー以上にだと。よって機能的財政論に対する批判はMMTに対する批評ではなく、ある一つの、より広範なマクロ的アプローチの考え方に対する批判ということになる。

それはさておき、クルーグマンが考えるMMTer(もしくはアバ・ラーナー)の「間違い」なるものについて検討しよう。 ラーナーのアプローチをよく知らない人用に短く書けばこういうことだ。政府はその財政能力(支出、課税および借入)を、完全雇用と物価安定の維持するために最善になるような方法で使うべきである。この二つの任務は基本的に、連邦準備制度ではなく議会が受け持つべきだとラーナーは言う。

ラーナーは、財政赤字を避けるべきとする「健全財政」の原則が大嫌いで、政策立案者は均衡財政ではなく均衡経済の実現に集中するべきだとした。その結果、必然的に財政赤字になるかもしれず、あるいは均衡財政あるいは財政黒字になっても、それ自体は構わないという。

黒字か赤字は結局、民間部門が政府の関与なしで完全雇用の実現にどこまで近づくかにかかっている。いずれにしても政府はインフレに注目しそこに焦点を当てることが重要で、財政赤字や債務について心配するべきではない。

クルーグマンは、このラーナーの考え(拡大解釈してMMTの考え)には二つの問題があると言う。第一に,「ラーナーは金融政策と財政政策のトレードオフをてんで無視している」と。クルーグマンは特にラーナーが金融政策についての議論を「軽視」し過ぎているとする。金利は「投資のもっとものぞましい水準」を達成する水準に設定すべきであると言うが、どうやって率を決められるかを正確に述べないではないかと。

これは奇妙な批評だ。なにしろ金融政策は目に見えない「自然利子率」、つまり景気が低迷しようが過熱しようが存在しているその率なるものを目標とすべきだという考えにクルーグマン自身が賛成している。ちなみに、中立利子は「とんでもなく間違っている」とする研究もあり、FED議長であるジェローム・パウエルもこの「直接は測定できず、その見積もりには大きな不確実性がともなう変数」に依存したために消極的になりすぎてしまったと認めている

しかしそもそもラーナーは、経済の最適化のために金利を使おうとしてはいなかった。それは財政政策の割り当てになるからだ。 彼は、政府は増税や借入をすることなく完全雇用を維持するために、必要なものは何でも使う用意ができている状態にしておくべきだと主張した。

ラーナーは、インフレ問題を引き起こす可能性を招かない限り、政府が減税するか新たに発行した貨幣を支出し、ただそれを経済の中に置くことだとした。 のみならず彼は、そうすると「金利が引き下がりすぎ…そして投資が過剰になり、ひいてはインフレを引き起こす」可能性があることも理解していた。

そのためにラーナーは、短期金利が過剰な投資を防ぐのに十分なほど上昇するまで、政府が過剰資金(準備金)を回収するべく債券を売却すべきだと提案した。そうしないと財政赤字の増加によってもたらされた低金利の貨幣が、多くの投資に「クラウド・イン」し、経済を過熱させかねない。言い換えればラーナーは、財政赤字と金利および「借入」の目的の関係について、まったく異なる考え方を持っていたのだ。

クルーグマンが心配しているのはクラウディング・アウト効果だ。これは財政政策と金融政策との間には本質的に緊張関係があって両者にはトレードオフがあるという考え方だ。ラーナーが心配したのはそうしたものではなく、財政政策によるクラウド・イン効果だ。ラーナーは、財政赤字が金利を引き下げ、投資を刺激し過ぎる可能性があることを理解していたから、金利を高めに維持するため国債を売却せよとした。このように「借入(国債)」は財政赤字のためのものではなく、金利を望ましい率に設定するためのものだ。 MMTはこれに賛成し、まったく同じ主張をしている。

クルーグマンの第二の異議は、ラーナーは、インフレと闘う手段として「増税ないし支出削減に必要な技術的もしくは政治的な難しさについて十分なことを言っていない」というものだ。

ところが実際のラーナーは、このことについてかなり多くのことを言っている。彼の1951年の著書「雇用の経済学」の中で、その問題を扱う章の冒頭の文を引用しておく:「ここまでで雇用の経済学の議論は終了だが、政治および雇用政策一般、とりわけ機能的財政の運営に関して一言二言を付け加えておかなくてはならない。」(強調は原著)

クルーグマンは次のように心配する:もし議員連中がラーナーの考え通りの政策を実行するはいいが、どこかで脱線してしまって債務のGDP比が300%になり、金利が成長率より高いという事態になったら?

クルーグマンは続ける。「債務のGDP比率を安定させるには、基本的にGDPの4.5%に相当する財政黒字が必要になるだろう」と。そしてどうすればそんな黒字にできるかが心配だという。「メディケアと社会保障を削減することになるのだろか?」

私からの答えは三つ。
第一に、経済学者ジェームス・K・ガルブレイスが説明したように「金利の仮定に悪魔がいる」。そんな終末シナリオを防ぐことなど難しいことではない。ガルブレイスが説明するように、「分別ある政策の結論はこうだ。期待金利を低く保つこと。」もっと大雑把に言おう。「それは金利だ、バカ」。

金利は政策変数であるから、FEDがしなければならないこととは、金利が無限に上昇するのを防ぐために金利を成長率以下に抑えることだ(i<g)。 ガルブレイスが言うように「将来の支出計画の抜本的な削減や、社会保障やメディケア給付を削減する必要はない。」

クルーグマンはこの問題を機能的財政のせいにするのではなく、いったいFEDは債務を持続不可能な軌道に乗せるような水準に金利を維持する理由があるかどうかを考えてみることだろう。私には想像できない。 i>gならば、債務返済額はGDPよりも早く大きくなる。クルーグマンが主張するのはそんな事態だ。

だから、彼が想定するシナリオからこんな疑問が出てくる:債務の対GDP比率が300%であるときに、インフレ率を目標としているFEDが i> gを許容するのだろうか?

ここで日本が良い事例になる。債務比率はまもなく300%に達しそうだ。方や金利は日本銀行が設定する目標に収まっており、政府は容易に財政赤字を維持できている。

第二に、債務の持続可能性にそれほどご執心なら、どうして借りたままにしておこうとするのだろうか。思い出そう、ラーナーは借入れは資金調達とは考えなかった。私も上で説明したように、借入れ(国債)は金融政策を実行する道具、すなわち準備金を除去したり、金利をある率に維持する手段と見なしていた。私の論文はここに

さらにFEDは今や、金利目標のため債券に依存すること(公開市場操作)はなくなっている。準備金残高に対して目標金利の利子を払っているだけだ。ならば国債を廃止すれば良いではないか? 私たちは借金を完済できるのだから。「明日」にでも。

それが極端すぎると思うならば、三カ月物国債の金利が常にオーバーナイト金利の少しだけ上になるように抑えるだけで十分ではないか? もしグリーンニューディールのために第二次世界大戦のような財政出動に乗り出したいのであれば、議会はFEDに対し、第二次世界大戦の際に行ったのと同じ方法で金利を制限するよう指示することが可能だ。 言い換えれば、クルーグマンが心配する技術的あるいは管理上の問題に対処する方法はたくさんある。

最後に。クルーグマンは、いや、ほとんどの経済学のプロがそうなのだが、経済をスローダウンさせるためにFEDが使える道具立ては短期金利だけしかないと考える。 MMTはそれには賛成しないし、世界中の多くの中央銀行も賛成しないだろう。

いま一つだけ選択肢を挙げるなら、FEDは貸出に安全マージン率を乗せることによって、最大ローン・トゥ・バリュー・レシオ(maximum loan-to-value ratios)なりデット・サービス・キャッシュフロー・レシオ(debt service-to-cash flow ratios)を引き下げることができる。信用の拡大を制限することによって、国家債務の金利を上昇させずに経済をスローダウンさせるというFEDの目標を同時に達成することが可能だ。短期金利の引き上げと比較して、安全マージンを引き上げるこの方法の利点の一つはデフォルトのリスクの低減することだ。

結局どういうことだろうか。ポール・クルーグマンと私の間の同意事項は数多いが、根本的な対立点が残る。

彼は財政政策と金融政策の間には本質的なトレードオフがあると信じている。いわゆる流動性の罠の中でなければ、財政赤字は民間投資をクラウド・アウトするとする標準的な見解を採用している。財政赤字は民間の借入と競合して限られた貯蓄を奪い合うというものだ。

MMTはこれを認めない。なぜなら政府の赤字が貯蓄の源泉(消費でなく)だと示されている邦訳あり)からだ。クラウンディング・アウトが発生することがあることは、いくつかの慎重な研究によって示されているが、それが起こりがちなのは、中央銀行を持たない政府で通貨の発行者にはなっていないような国々だ。

この不一致など、実証的にでも直感的にでも解決できているはずの話に思える。しかしわからない。ラーナーも書いていたように「意志に反して納得させられた人は、まだ同じ意見を持っている」のだから。

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  • ISHIZUKA Ryoji

    よい翻訳でした勉強になりました。最後の重要な部分、「政府の赤字が貯蓄の源泉(消費でなく)」は、意訳すると「政府の赤字は民間貯蓄の消費ではなく、その源泉なのだ」ということですね。