モズラー氏の金融システム改革案(2010年3月23日)これで貴方も脱MMT初心者!

ttps://www.huffingtonpost.com/warren-mosler/proposals-for-the-banking_b_432105.html


この文書(↑)は、ギリシャ危機の頃にモズラーが世に問うた米国金融システムの全般的な改善案、つまりMMTという立場からの金融システム再構築プランです。危機を産んだ金融機関の投機行動から如何にして金融システムを守ればいいのか!
と同時に、いま読むとMMTが一貫して主張しているOMF(overt monetary financing、「税」にも「国債」にもよらない政府支出。monetary financing のような言い方も)の運用形態についての適切な説明文として読めます。
もしMMTブームがやってこなければこれは「トンデモ?」と受け流されたはずですが、MMTブームの今この瞬間、とりあえず興味を持たれる方も多かろうと考えて翻訳してみました。

私見では、興味深いのは三点。

  1. OMFによる財政運営のイメージがわかる
    今を時めくステファニー・ケルトン教授ですら最初は信じられなかった話とは?(本エントリの下の方で補足します)
  2. 中央銀行の能力と限界がわかる簡潔な説明になっている

    ・金融政策の核心はインターバンク市場(銀行間の準備預金の市場)の金利を目標金利に固定すること、準備預金を(一定の条件に基づいて)上限なく供給することで円滑な金融を保つ
    ・民間銀行が持つ準備預金は国債と同じ機能を持つ。それどころか準備預金の方が使い勝手が良く、きめ細かく柔軟な運営が可能(貨幣は普通預金で国債は定期預金だ!というモズラーの話と関連)。
    ・一般的に中央銀行の使命とされる物価の安定、失業対策はこの領域には登場しない。金融システムの領域(中央銀行を含む)では本質的にそもそもそういったことは扱えない。それらは「ここに書かれない部分」で対応するしかない。MMTの案では、JGPを含む適切な財政政策の役割にする以外にはないではないか、ということになる。

  3. いろいろな俗論が完全に誤りか、ちょっとズレてるか、実はそれほど重要な話ではないということが明瞭に見える(人もいる)


    ・MMTは紙幣を無限に刷ればいいと言っている!(言っていない)
    ・国債を無限に発行すればいいと?(言っていないって)
    ・政府の支出には税か国債が必要!(あべこべ)
    ・低コストで国債出してばらまーく(あべこべ)
    ・長期国債金利の急騰が財政を圧迫!(圧迫はない)
    ・閉塞した従来経路を変えてヘリマネだ!(振込でよくね?)
    ・政府の予算制約!(…)
    ・量的緩和でインフレ期待!(…)
    ・ついでに日銀、実物資産も購入!(こら!)
    ・税と国債は等価!(ズレてる)
    ・日本経済「余命3年」(2010/11/25発売)
    ・「消費税反対はツケで物を買った客が、後になって気に入らないから払わないと言っているようなもの!」(new!
    ・黒田総裁「財政赤字を考慮しない考え方」(いや財政赤字こそ重要という理論…おっと話が逸れる)

それでは!


金融システムへの提言


Warren Mosler, 03/23/2010 05:12 am ET Updated May 25, 2011

現在大統領が金融改革を検討しているが、FDIC、連邦準備制度および財務省について以下の提案がある。

金融システムへの提言

米国銀行の官民パートナーシップが設立された目的は、信用分析に基づいた貸出を提供するという公共目的に資することだ。そうした融資を継続的かつ安定的に支援するためには、市場に依存しない資金源が必要になる。そのため、世界のほとんどの金融システムでは、何らかの形での政府預金保証制度が設けられ、また中央銀行が設置され民間銀行への融資に備えるという形をとっている。

金本位制その他の固定相場制の下では、銀行の資金調達が信用保証でなされることはなかった。例えば固定為替レート制度の場合は、その定義により交換対象となる通貨の供給に制約がある状態での運用となる。銀行は、預金者の引き出し需要に対応できるように、交換通貨の準備を保持しておく必要に迫られる。また金本位制の下では信頼が決定的に重要だった。民間銀行は100%の準備金を持って運営するわけにはいかない。銀行経営は、預金者をパニックに陥らせることがなく、同時に預金の現金化要求には対応できる状態をいかに保つかに依存することになる。1800年代後半の米国は、立て続けに深刻な不況に見舞われたが、1907年の「パニック」は連邦準備制度の創設(1913年)を余儀なくされるほど酷いものだった。この制度の目的は、連邦が二度と1907年のような事態に陥らないよう、「最後の貸し手」になるということだった。しかし、この戦略は失敗した。 1930年の不況の酷さは1907年のパニック時を凌駕した。金本位制制度の下のFEDは、引出の要求を満たすのに十分な量の通貨を民間銀行に貸出すことができなかった。何千もの銀行が破綻するというカタストロフを経て全国銀行休業日が宣言される事態となり、生き残った銀行も、金融システムが再編成されるまで政府によって閉鎖された。1934年に金融システムが再開したの時点で、通貨の金への交換が永久に(国内では)中止され、銀行預金は連邦預金保険でカバーされることになった。つまり連邦準備制度では、不況を止めることができなかった。鍵は金本位制からの離脱にこそあった。

大恐慌からもう80年が経った。現在の深刻な景気後退でさえ、実施されているのは貧弱な政策対応ばかりで、不況に突入する瀬戸際にいる。残念なことに、見当違いで緊縮的すぎる財政政策によって生産と雇用の回復がずっと足踏み状態にある。

あれほどの痛みを伴った金融史の教訓とは、金融における責任の側面は市場規律に任せてはいけないということだったはずだ。従って、銀行が政府の保証を伴った預金および中央銀行融資によって無制限の資金提供を受けるのであれば、資産の規律が必要となる。それは、銀行の資産は規制当局によって「合法的」とみなされたものであることであったり、銀行の最低資本要件が規制当局によって設定されるといった事柄だ。銀行業務の公的目的とは、支払システムを提供し、信用の分析に基づいた融資資金を供給することだ。ここから導き出されるのが以下の提案だ。

  1. 銀行の業務は、借り手に対して直接貸出を行い、その貸付金をその貸借対照表に計上して保持することのみであるべきだ。 貸付金その他の金融資産を第三者に売却することに公的な目的はない。にもかかわらず、そうした活動を規制・監督するために政府が多大なコストをかけている。また、政府が流通市場の活動を適切に規制し監督することに失敗した場合に深刻な影響が出る。以上の理由(公的目的がないことと、規制のための負担が幾何学的に上昇しており、規制や監督に失敗した場合に深刻な社会の負担が伴う)から、銀行が流通市場で活動することは禁じられるべきだ。この分野が銀行の収益源になっているという議論は、政府が企業の支援を拡大する理由にはならない。
  2. 米国の銀行がLIBORでの契約することは許されるべきではない。LIBORは恣意的な要素が多く、海外(英国)で設定されるものであり、米国政府の手が及ばない。今回の危機の一つの原因として、連邦準備制度にはLIBORを目標金利にまで引き下げる力がないという事情が挙げられる。救済すべき何百万もの米国の住宅所有者その他の借り手は、LIBORに基づいた借り入れをしていた。連邦準備制度理事会は国内の借り手のため、何とかして米国の金利を引き下げようと、無制限かつ実質的に無担保の「スワップライン」と呼ばれる米国の与信枠をいくつかの外国中央銀行に与えるという非常にリスクの高い政策に頼ることになった。このFEDからの与信枠は低金利で設定され、狙いとしては、外国の中央銀行がここからの資金を元手に各国の銀行に低金利で貸し出してくれればそれによってLIBORの設定が引き下がり、そうなれば米国の世帯や企業の借り入れ負担を引き下がる、というものだった。外国中央銀行への貸付は約6,000億ドルに達し、幸い最終的はLIBORの設定は引き下がることになったのだが、リスクはかなりのものだった。もし外国の中央銀行が返済しないオプションを行使したならばFEDには債権回収の手立てがなくなっていた。もし米国の銀行が、初めから貸出金利と与信枠をLIBORの基準ではなく、米国のFFレートを基準としていたならば、この問題は避けられていたことになる。そうであれば住宅所有者や企業といった米国の借り手が支払っていた利子率は、FEDが意図してFFレートを引き下げるだけで下げられていたことになる。
  3. 銀行はどんな種類のものであってもの子会社を持つことが許可されるべきではない。銀行が何らかの資産も「貸借対照表外」に保有することを認めることによって達成される公的目的はない。
  4. 銀行が、融資の担保として金融資産を受け入れることは許可されるべきではない。財務的レバレッジによってもたらされる公的目的はない。
  5. 米国の銀行によるオフショア地域への貸出は許可されるべきではない。米国の銀行が外国の目的のために貸出しすることを許可することによってもたらされる公的目的はない。
  6. 銀行がクレジット・デフォルト保険を購入(売却)することは許可されるべきではない。金融業務における官民パートナーシップの公的目的は、民間企業のリスク評価を公営銀行が行うのではなく、民間銀行が行なう点にある。民間銀行がクレジット・デフォルト保険に頼るのであれば、それはリスク評価を第三者に譲渡することであり、それは現在の官民金融システムの公的目的に反する。
  7. 銀行が、基本的な貸出業務の範囲を超えて、自己勘定取引その他の利益創出事業を行うことは許可されるべきではない。何らかの公共目的で国民がその必要性を認めるならば、その業務を分離し別の仕組みで行えばよい。
  8. 銀行資産の評価には、FDICが承認した信用モデルを使用する。銀行の資産を時価評価することは認められるべきではない。もし、特定の銀行資産を市場価格で評価することが有効な議論であるような事情があるならば、それは、そもそもその資産は始めから銀行資産として許容されるべきものではなかったことになる。金融業務の公的目的は、市場評価によってではなく信用分析に基づいて円滑な貸出しをすることだ。政府が保証する資金はそうした融資にのみ提供されることによって、それらの融資は流動性に晒されることなく満期まで保有される。そのことが公的目的を裏付ける。信用分析による評価をせずに市場へのマーキングに頼ることは公的目的には役立たず、むしろ、安定した貸出プラットフォームを提供するという公的目的を覆すものだ。

連邦預金保険公社(FDIC,Federal Deposit Insurance Corporation) への提言

  1. 預金保険の250,000上限ルールを廃止する。上限が設定されている理由は、そうしないと大口預金者が大手銀行に引き寄せられ、中小銀行は預金を集めにくくなってしまうというものだ。しかし、もしもFEDがFF市場においてすべての加盟銀行に対し無制限の規模で取引に応じるようになれば資金調達の問題は存在しないことになる。
  2. 銀行の破綻で失われた資金を回収する理由で銀行に課税することはしない。FDICは米国財務省の全額出資であるべきだ。FDICの資金需要を理由に民間銀行に対する課税する必要はない。銀行への課税は、銀行制度に参加する政府が設定する、より大きな公共目的という見地からなされるべきだ。それは決済システムの維持や、信用評価に基づく貸出といった機能だ。銀行への課税は、その税が公共の目的にいかに資するか、あるいはしないのかという観点だけから判断されるべきだ。
  3. FDICの職務全般は、財務省のサポートを受けないことにする(出資以外は)。FDICは、破産と判断された銀行の業務をまずは引き継ぎ、その銀行を売却するか、資産を売却するか、再編成するなど、決済システムに政府が参加するという公共目的に合致した対処を行なう。TARPプログラムが始められた理由の一つは、財務省が特定の銀行の株式を購入しておくことによってFDICからの破産宣告を免れ、銀行が貸出に十分な資本を持てるようにしておくことであった。しかしTARPが行ったことは結局、ブッシュ政権とオバマ政権はどちらも金融システムの仕組みの本質を理解できていなかったことを白日の下に曝すことでしかなかった。

銀行がその自己資本を超える損失を被った時には、自己資本以上の損失分を米国政府の一部門であるFDICがカバーする。その銀行に財務省が「資本注入」していた場合、その銀行の損失が民間出資の額を超えた時点で、次に損失を被る順番になるのは米国財務省(米国政府の一部門)ということになる。さらなる損失で、財務省が出資した額をも超えた場合、それ以上の損失はFDICがカバーするということになる。さて、財務省が銀行の株式を購入することで何が変わることがあるだろうか?民間所有分の資本が失われたあとに、それ以上の損失をFDICの代わりに財務省が被るわけだが、FDICはそもそも財務省の出資を受けたものだ。米国政府と「納税者」にとっては、損失をカバーするのが、財務省に出資されたFDICであっても、「資本注入」した財務省であっても何ら違いはない。TARPプログラムが目的にしていたこと – 銀行の機能をそのままにFDICの保証付き預金を確保する – はFDICが民間資本要件を減額すれば直接実現できる。そうしなかったことが、金融の仕組みの無知がどれほどのコストをもたらすかを示す証拠となった。オバマ政権もブッシュ政権も、財務省が何十もの民間銀行の株式を購入することを認める法案を通すため、かなりの政治資源を費やしたのだから。そして、さらに悪かったのは、それがすべて連邦政府の赤字支出を増加させたことだった。もし議会や政権が貨幣システムを理解していたならば財政赤字が増加しても気にすることはないのだが、実際は理解されていないため、雇用と産出を回復するための一層の財政施策の実施が遅れる傾向に帰結してしまっている。皮肉なことに、財政政策が緊縮的でありすぎることがかえって銀行借入金の延滞率や債務不履行率の上昇に寄与し続けていて、そのことが銀行資本の適切な成長を妨げる続けているのだ。

FED(連邦準備制度)への提言

  1. FF市場での取引においてFEDは、銀行への貸出を無担保で、そして目標金利において無制限の貸出しができるものとすべきだ。これれ以外の方法を選択する理由は存在しない。現在、FEDは銀行への融資に対して100%の担保をとっている。しかしこれは冗長な行為であり破壊的ですらあるのだ。そもそもすべての銀行資産は予め規制当局に完全に規制されているのだから、FEDが貸出時に担保を要求する必要がない。規制当局の仕事は、すべてのFDICの保証付き預金が「安全」であり、民間資本の範囲を超えたを損失のリスクにさらされないような状態を保っておくことになる。つまりFEDが貸し出す対象は予めFDICが決めている。銀行が投資できるのは「法に則った」資産のみであり、銀行の資本の大きさは法で適正に決められていることになるからだ。銀行は、FDICの保証付き預金によって事実上無制限の資金を得ることができるようになるため、FEDからの資金を「誤用」する余地はない。銀行にとってFDICからの保証付き預金による資金調達と、FEDからの直接的な資金調達との唯一の違いは、FEDには金利を支払わなければならないという点だが、ある定められたレートを目標とすることはFEDの金融政策の主要目的だ。

またFEDは民間銀行への貸出に金額の上限を設定することがあるが、そうする理由は存在しない。民間銀行による貸出は準備金に制約されていないので、準備金の貸付の量を制限しても貸出量に変化はない。準備金の制約になるのは、FFレートの変化だ。つまり民間銀行が準備金のために支払う金利がFEDの目標金利に合わせ変更されることだ。よってFEDが、FFレートをその目標レートに完全に固定させるための唯一の方法は、単にそのレートにおいて無制限の貸出しと無制限の預金受け入れを実施すること宣言しておくこととなる。そして、目標金利で無制限の量の貸出をすることによる金銭的リスクおよび経済的な悪影響は全くない。従ってそうしない理由が存在しない。この政策のもう一つの利点は、銀行間の資金融通取引を完全に排除する点にもある。銀行はFEDとの取引で同じことができるのであれば、銀行間で資金の取引をすることによって達成される公的目的はなくなり、取引コストは削減される。さらに民間銀行に対してFEDが、あらゆる期間構造を持つような資金を提供することよって、銀行間取引の必要性を完全に排除する選択肢もFEDにはある。

  • 代理人たるFEDの業務は、銀行集団を使った金融政策のみに限定する。この領分を超え、さまざまな金融資産を購入する目的で官民パートナーシップ関係を使う政策には賛成しない。仮に、何らかの資産を購入する必要性が認められるのであれば、新しい別の官民パートナーシップによって実行されるべきだろう。たとえば、銀行がそれら「適格資産」を分離された別の口座に置く形態があり得、そこからの損失は資本の10%に制限するような規制を加えることも可能だ。こうすれば、先日提案された官民投資プログラム(訳者補足:PPIP、政府が民間の出資をも活用して金融機関の不良債権を買取った政策)と同じ結果をもたらしつつ、高度な規制監督下にある金融システムの範囲内に置くことが可能になる。銀行集団システムは、リスク調整後金利の期間構造を目標とすることで金融政策を運営するために適切な手段だ。この目的のために、すでに約8000の加盟銀行が存在しているにもかかわらず、費用をかけリスクをとって新しい官民パートナーシップを構築する意義はあるだろうか?
  • 金利は、現在のゼロ金利政策を恒久的なものにしたい。そうすれば生産(投資を含む)のコストとしての金利圧力は最小な状態になり、物価の安定に貢献する。また、金利生活者の収入が最小になることで労働力参加が増え実質生産高が増加することになる。付け加えると、非政府部門は金融資産の純貯蓄部門であるから、低金利は借り手を援助する効果以上に貯蓄者に負担が増す効果があることになる。よって生産と雇用を適切に維持するためには、減税もしくは政府支出を増やすという財政的な調整を加えることが適切になるだろう。
  • FEDはまた、金融システムを通じて国債の購入者にクレジットデフォルト保険を用意しておくべきだ。米国財務省証券にデフォルトのリスクは存在しないが、市場参加者がクレジットデフォルト保険を希望した場合にはFEDを通じて利用できるようにする。これによりプレミアムが維持され、市場のリスク認識を、FEDが決定する水準に抑えることができるだろう。この率は残存期間によらず5ベーシスポイント程度とするのが良いだろう。

財務書への提言

  1. 財務省証券の発行を中止する。財政赤字支出は、FEDの超過準備預金として蓄積される。不換通貨制度および変動為替相場制度の下にあるときに、国債を発行することによって達成される公的目的はない。国債の発行によって、金利の期間構造が高めの水準に維持される効果があるだけだ。長期金利は投資に関わるので、金利を高くしておくのは、単にあらゆる商品とサービスの価格構造を歪める効果しかない。
  2. 財務省による金融資産の売買は認めない。伝統的にそうであったようにそれはFEDによってのみ実施されるべきものだ。金融資産を、中央銀行はでなく財務省が購入する場合、大統領、議会、経済学者、そしてメディアの反応が異なる。彼らは財務省による金融資産の購入を、あたかも連邦財政の選択肢を制約する「赤字財政支出」と誤解するのだ。

(以下は、無粋を承知で、MMT初心者のための訳者による補足です)

財務省証券(国債)の発行を中止!
それで赤字財政支出推奨???
トンデモ???
いえいえこれであなたもMMT初心者脱出!

この話、レイの「入門」では第三章第六~七節の話です。(今なら落ちている? )できれば復習しましょう!
以下、教科書と同じジェット機の例を使います。

一般的な見方(以下「主流ビュー」)では、民間に国債を売って得た資金でジェット機を買う、という順序です。普通ですね。赤字財政支出の場合、政府が実物資産を得る対価としてその国債を民間に渡すことになります。
まずこうなって。。。

【統合政府】
 +ジェット機(資産増)、+国債(負債増)  
【民間業者】
 +銀行預金(資産増)、-ジェット機(資産減)
【民間銀行】
 +国債(資産増)、+業者の預金(負債増)

ここで、民間業者と民間銀行をまとめて書けばこうなります(強調する理由は後ほど)


【統合政府】
 +ジェット機(資産増)、+国債(負債増)  
【民間部門】
 +国債(資産増)、-ジェット機(資産減)

確かに「国債と実物資産の交換」です。支出の前に国債発行が必要だ。一般家庭と同じで、元手がないと支出できません(spending last)。
ここでMMTは問う。そうでしょうか? この説明で、銀行は国債を買うための預金をそもそもどこから得ていたの?

MMTのビューでは、そもそも赤字黒字を問わず財政支出とは本質的に次のようなものだと分析します。


【統合政府】
 +ジェット機(資産増)、+民間銀行の準備預金(負債増)  
【民間部門】
 +準備預金(資産増)、-ジェット機(資産減)

これは、主流ビューにおける「国債」が「準備預金」に変わっているだけですね。政府が業者に振込で支払えばこの形になることは容易にわかると思います。「元手」は出てこない。「紙幣を刷って」もいない。ただ単に、ボーリングのスコアをつける時のようにキーボード入力によって、相手の預金口座に借方記帳するだけです。これがOMFとか、マネタリーファイナンスと言っている事柄です。

「国債で払っても振込で払っても同じでは?」と思ってしまう誘惑はありますが、そう考えたら負け。国債は売る相手が必要ですが、振込はいきなりできる。MMTはここが出発点なのですね。

さて、この「政府支出の本質は準備預金と実物資産の交換である」ということから、いろいろなことが言えます。
 
上で、民間銀行に準備預金という資産が増えました。これは銀行にとっては、利息の付かない預金を「押し付けられた」とみることもできます。銀行はこれを運用しない手はないので、有利子の国債を購入(準備預金と交換)すると。。。

【統合政府】
 +ジェット機(資産増)、+国債(負債増)  
【民間部門】
 +国債(資産増)、-ジェット機(資産減)

この形になって、上で強調した主流ビューの結果と全く同じ!主流ビューは、これをじかにボンドファイナンス(財政支出を国債でファイナンス)と理解するところで、MMTは、いやそれはよく見るとマネタリーファイナンス(OMF)をボンドファイナンスに「変えた」と読む方が適切だ、と理解するのです。

では次に、税によるファイナンス(タックスファイナンス)を調べましょう。「無理やり」この話をするために、民間業者からジェット機を購入すると同時に、同額の徴税があったと「想定」してみます。すると、こう「変わる」。

【民間部門】
 +準備預金(資産増)、-ジェット機(資産減)、-準備預金(資産減)

要するに(準備預金は行って来いなので)

【民間部門】
 -ジェット機(資産減)

ジェット機を取られただけということになる。
同様に、このとき政府部門はこうなる(上と同じなので準備預金の動きは省略)

【政府部門】
 +ジェット機(資産増)

これは納税をジェット機で物納したのと同じですね。MMTではやはりこれも、マネタリーファイナンスされていたものが、タックスファイナンスと「解釈された」と見なします。

さてどうでしょう、この二つの話、国債より税の話の方がすんなり理解できるのではないでしょうか? それは、上で「無理やり」としたように、個別の政府支出と個別の徴税が直接結びつかないことをわたしたちは経験的に知っているからと思われます。毎日毎日いろいろな形で税を取られていることは体感していますから。

対して国債ですが、その取引はわたしたちの日常生活と離れてはいるものの、統合政府は毎日毎日大量の国債の売買(特に中央銀行の金利誘導オペレーション)を繰り返しているのです。だから税と同様に国債も、「財源」として個別の政府支出と対応させる意味はそもそもなかった。

こうして、すべての政府支出はマネタリーファイナンス(OMF)であると考えれば、主流ビューで謎だった「税や国債のためのお金はどこから来たか」は解決されていることになる。実は最初から話は逆で、「政府支出で生まれた準備預金を国債や税として回収している」(spending first)のだから。

OMFのovertは「むき出しの」という意味です。政府支出は「むき出し」の形でまず存在して、それが税または国債でファイナンスされていることにお化粧されているだけなんだと。

するとここから、国債で「化粧」する必要はないのでは?という考えが自然に出てきます。国債の役割とは、インターバンク市場の金利誘導ツールでしかない。であるならば、民間銀行に準備預金を貸し出すときに金利を乗せれば、それだけで本質的に国債でやっているのと同じことができてしまう。さらにここでモズラーが説明しているように、何なら、二年の定期、三十年定期、といった形にして、より細かい期間構造を作ることだってむしろ容易にできる。。。
(ついでながら、インフラ投資は長期国債とか、教育インフラは教育国債で…のような議論がありますが、それ自体いったい何のこっちゃ?と思えてくるわけです)

このようにモズラー「国債発行は中止」といいつつ、既発国債の取り扱いにもちゃんと触れているあたりの芸が細かいですね!

あと最後の一文。これは説明するの実に野暮ですが、「財務省が支出に備えて国債を発行する行為」のことを「財務省による金融資産の購入」と言っているのです。

(了)
nyun deshita

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  • Kenji Katsuragi

    にゅんさん、よくまとめていますね。国債で「化粧」する必要はない。市場の金利誘導ツールでしかない国債に代えて民間銀行に準備預金を貸し出すときに金利を乗せ、二年の定期、三十年定期といった形にして既発国債の取り扱い期間構造を作ることで「国債発行を中止(眠り込ませる)」(モズラー)です!ね。

  • Kenji Katsuragi

    いまの中央銀行制の与信は、①国債買いオペによるか、②貸付金。①は謂わば「金本位」ならぬ発行高権の「国債」本位制、②から政府は超長期に借り、又貸しの財投債として社会インフラやODAや武器調達や貸与奨学金などの政府支出している。これはアメリカもそう。どう改革するか工程を用意しなくては。

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