モデルは後知恵よりも多くのことを教えてくれる by Tim Harford

9月10日にFinancial Timesに掲載されたTim HarfordのModels tell us more than hindsightの訳。誤訳もたくさんあると思うので、コメント欄にて指摘お願いします。
追記: Shinya O.さんにコメント欄にて指摘いただき一部訂正しました。


私の尊敬する同僚ギデオン・ラックマンによると、経済学者は彼らの王座を歴史学者に引きずり下ろされるべきだという。経済学者はこれまでずっと権力のレバーを強く握りすぎだったと彼は主張する。経済学者らは自分たちが科学者だと思っている。彼らは自分たちが未来を占えると思っている。彼らは間違っている: 「疑似科学者」であり「見栄えの良い確実性の売り歩き」だ、と。これまでフィナンシャル・タイムズの論説ページのようなひっそりとした場所に追いやられてきた、ギデオンやニーアル・ファーガソン教授のような歴史学者は、ついに少しの注目を浴びるべきだろう。

どう返答するかよくよく考えているうちに、私は急性の見栄えの良い確実性の不足に陥ったようだ。ギデオンは歴史の重要性については確かに正しい。しかしながら、それが経済学となると、見栄えの良い確実性の主な原因はむしろギデオンで、彼は経済モデルが目の前をモデル歩きして来てもそれに気づかないのだ。

私はギデオンが経済学について知っているのと同じぐらい歴史について少ししか知らないが、彼が歴史学者の重要な役割の1つは時間と場所の錯綜した特殊性、複雑な社会を正確に記述する全面的な科学的法則を作り出す難しさを強調することだと示しているのが正しいということには疑いの余地はない。経済学者、社会学者、心理学者、人類学者はこれを切実に認めるべきだろう。最良の人はそれをする。たくさんの人はそうはしないし、そして悲しいことに彼らはメディアに現れすぎている。多分、これがギデオンが経済学の課題と方法を誤解している理由なのだろう。

彼は、経済学の建造物がいつも倒れているのに、「物理学の法則に従って建てられた建物は立っているように見える」と論じている。これは妙な言説だ。物理学の法則に従って建てられた建物は倒れる傾向がある。エンジニアでSuccess through Failure(邦題: 失敗学―デザイン工学のパラドクス)の著者であるヘンリ・ペトロスキは、構造エンジニアはこれまで以上に野心的な構造を組み立てることで学ぶ傾向があると言う。それらのうちの1つが落ちたりぐらついたりすると、エンジニアらは彼らのモデルでどこがおかしいのか考え出す。時々結果は惨憺たるものとなる: 革新的なマルパセットダム(Malpasset dam)が不十分な地質学的モデリングのおかげで決壊したとき、400近くの数の人々が死んだ。時々それらは素晴らしいものとなる: 賞を受賞したケンパー競技場が倒れたとき、誰の命も奪わず、24時間前にはアメリカ建築家協会会議が開催された。彼の川辺の高所にある家から、ギデオンはテムズ川にかかっている有名なユラユラ橋を眺めるだけならできるだろう。これは本当に物理学の法則への破滅的な批判なのだろうか?

しかしもちろん、私たちの物理学の法則への理解は責められるものではない。面倒なのは、風雪や断層、ミスをしがちな建築業者が存在する世界の中でそれらをモデル化する難しさなのだ。要するに、経済制度のような建物が立つのは私たちの法則への理解がそれらを理解しているからではなく、複雑な世界での挑戦と失敗のプロセスを生き延びてきたからだ。

経済制度はたいていの建物よりも複雑で特殊だ。進歩がとても難しいことは不思議ではない。しかしギデオンは「モデルと方程式」を却下するのが早すぎた。マクロ経済学のモデルがかなり使えないことを証明してきたことには同意する。経済学者の予測が、歴史学者・社会学者・政治学者・新聞のコラムニストのように、全然当たらないことにも同意する。しかし、ほとんどの理論経済学者が試みを怠っていないし、予測モデルは、経済学者が導いた小さな一切れの数学を表現しているだけなのだ。

例えば、経済学者のスティーヴン・レヴィットと彼の共著者であるジョン・ドノヒューの有名な主張に、アメリカ合衆国での合法化された中絶は約18年後の犯罪率を下げたか、というものがある。これは歴史に関する仮説だが、審判できる程の能力を持っている歴史学者はいない。代わりに、仮説がいくつかの工夫で統計的に分析されている; 統計的モデル自体に異議が唱えられ、細部にわたって検討され、いくつかの点で欠けているところが見つかり、別のデータを使ってダブルチェックを受け、他の国での経験と突き合わせてテストされてきている。論争は続いている。この過程は「科学」なのだろうか? 私にはわからない。しかし、確かに雑談ではない。

経済学者が歴史学者から学べることに疑いの余地はないが、経済学的秩序の探索は放棄されるべきではない。これは伝統的な経済学的アプローチの限界ではない。私たちは、コンピューター科学者のロバート・アクステル、物理学者のシーザー・ヒダルゴ、社会学者のダンカン・ワッツ、ギデオンによると実際の経済では何も起きないコントロールされた実験の類を行う経済学者のエスター・デュフロ(Esther Duflo)、心理学者のダニエル・カーネマンらの業績のおかげで、経済学についてたくさんのことを知っている。彼ら全てがあれらのやっかいな「モデルと方程式」を使っている。本流の経済学者たちはこのような侵略者を受け入れるだけの度量があるだろうか? 一流の人々にはある。多数はそうしようとしないが、それは学会についての事実であって、経済学だけに当てはまるわけではない。

少なくともカーネマンは彼の努力が報いられてノーベル経済学賞を受賞した。(またはギデオンが言うように「偽ノーベル賞」。ダイナマイト長者が死んでからずっと後、1968年にノーベル経済学賞は創設され、ヘンリー・キッシンジャーにとても科学的なノーベル平和賞が授与されたりレフ・トルストイにとても科学的なノーベル文学賞が授与されなかったりするのとは同じではないという。)

私の指導教官ポール・クレンペラーはおそらくギデオンが軽蔑するような経済学者だ: 数学的モデルで世界を理解しようとするゲーム理論家なのだ。なんと古風で傲慢なのか。しかし私がポールの教育ではっきりと覚えているのは、ゲーム理論の予測を覆し、モデルには何か重要なものが欠けている可能性に学生の心を開かせるように計算された一連の教室内デモストレーションだった。

ポールはそれらのモデルをイギリス政府が225億ポンド(約2兆9000万円)を調達するオークションを設計するのを手伝うのに使い、その後イングランド銀行(イギリス中央銀行)が流動性を銀行に注入して銀行を助けるオークションを設計するのを手伝った。ポールは未来を予測することは出来ないが、他のたくさんの建物と同じように、これまでのオークションはうまくいっている。

歴史学者は後知恵を取り扱う。それは素晴らしいものだ。しかしそれはただ1つのものではない。ニーアル・ファーガソンやヘロドトスという酒に酔っているギデオンはそれを忘れてしまっているのだろうか。

  • http://twitter.com/erickqchan erickqchan

    本人ブログだと、このエントリはこちらですね。
    http://timharford.com/2010/09/models-tell-us-more-than-hindsight/

    そっちにはRachman の反論が付いてるけど、これがまた強烈な気が^^

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  • http://twitter.com/ssuguru S S

    コメント欄に寄せられたギデオン・ラックマンの反論です。

    ティム・ハーフォードは、愛する経済学についての活き活きとして博学な特色の提示において、我々二人が属している職業の特徴である誤りを犯している。ジャーナリズムだ。大部分の主張の根拠を二、三の逸話に置くという誤り犯してしている。ケンパー競技場崩壊についてのストーリーはたしかに魅力的だ。ティムはそこに物理学と工学の法則は、経済学の「法則」よりも少しも信頼できるものではないという示唆を見いだしたようだ。それらは全て単なる仮説であり、現実の世界で試行錯誤を重ねながら徐々に改善されていくものだ。しかし、ハードサイエンスは確固たる科学的に検証可能な知識のボディを築いてきた。それは経済学が持っているとは決して言えないというのが私のたぶん無精な感想だ。まさかちがうとティムは言うのかい?

    ティムはまた、未来予測においてマクロ経済学モデルが使い物にならないことを認めるが、それは些細な問題であるとほのめかしている。ほとんどの理論経済学者が挑戦を怠っていないという理由からだ。しかし、私の文章のスタート地点はジョセフ・スティグリッツが「経済学を扱うことを職業とする者の大半が危機の到来を予測できなかったことは、大いに懸念すべきことである」と述べたことだ。そして、スティグリッツ教授は経済学スウェーデン銀行賞いわゆるノーベル経済学賞の受賞者だ。

  • http://twitter.com/shinyaooo Shinya O.

    翻訳おつかれさまです。訳についてのコメントです。

    第1段落 peddling brash certanities:
    brash は「癪に障るぐらい自信満々」なので,何に関しても自信満々に断定す
    る(ムカツクナー)という表現だと思うのですが,訳語にするのが難しいで
    すね……。

    第6段落 economists … make terrible forecasters.:
    make≒become, terrible: ひどい,出来の悪い,forecasters: 予測する人
    経済学者は出来の悪い予測屋になる→経済学者が予測しても全然当たらない。

    第7段落 the statistical models themselves have been … in other
    countries.:
    統計モデル自体に異議が唱えられ(contested),細部にわたって検討され
    (pulled apart: 分解して調べられる),… 別のデータを使ってダブルチェッ
    クを受け(double-checked using alternative data),他国の経験と突き合
    わせてテストされてきている(tested against the experience in other
    countries.)。

    第8段落 Are mainstream economists receptive enough to such invaders?
    The best ones are.:
    本流の経済学者たちにこのような異分野からの侵入者を受け入れるだけの度量
    (receptive enough: 受け入れるのに十分な度量・懐の深さがある)があるだ
    ろうか? 一流の人にはある(the best ones are =
    the best economists are receptive enough)。

  • http://twitter.com/erickqchan erickqchan

    Shinya Oさんは「指輪」を指摘なさってた方ですねー^^
    peddling brash certanities は難しいです。
    反論先記事の日本語訳と合わせたのかな。
    (ここの末尾)
    http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4405?page=3

    Timさん、根に持ってますねえ

  • http://www.gkec.info/ GkEc

    ご指摘ありがとうございます。訂正させていただきました。