ジョン・T・ハーベイ 「MMT:トンでも?まとも?」(2019年3月5日)

今年に入ってMMT(現代金融理論)に対する主流派経済学者の(つまらない)攻撃が増えているのですが、MMTerではないポストケインジアンであるJohn T. Harvey先生がついに痺れを切らしてForbes氏に書いた文章のゲリラ翻訳。
MMterには好意的に受け取られています。

MMT: Sense Or Nonsense? 
ttps://www.forbes.com/sites/johntharvey/2019/03/05/mmt-sense-or-nonsense/


「現代金融理論(MMT)をめぐる現在の議論に参加する忍耐力はないね」、とTwitterに書いたのはほんの数日前のことだった。議論の大部分は、人格攻撃だったり、藁人形論法だったり、噛み合っていなかったりで全くの時間の無駄のように見えた。まあ、気が変わったんだよ!

ポール・クルーグマンがもう何年もMMTと戦っているリングに、有名な主流経済学者であるローレンス・サマーズとケネス・ロゴフが新たに参戦だ。自分が意見したところで解決に向かったりはしないだろうが、吐き出しておきたくなったんだ。一言でいえば、クルーグマン/サマーズ/ロゴフが間違っている。

まず私の立場をはっきりしておく。私はMMTの全部に賛成というわけではない。但し、その賛成できない部分が公共の議論になった試しはなく、MMTの政策提案に変更を迫る論点でもない。一般人にとってはどうでもいい部分だ(学術論文にすれば二、三本分だ)。要するに、私はMMTのいくつかの側面について実際に批判的なのであり、彼らの方針に沿った発言をする立場の人間でもないということを理解いただければ。

とは言え、昨今の議論の文脈ではMMTersが正しい。
それを説明するため、最初にMMT(あるいは、マクロ経済学が適切に行われていると私が考えているもの)とはどのようなものかをレビューしておく必要があろう。当然、手短かに、だ。そこでジョブギャランティ制度に焦点を当てる。

解決されるべき中核問題

1. 論を待たないこととして、働く意思がある人すべての職を民間部門で雇用できればそれに越したことはない。しかし民間部門では労働は費用であるから最小化が目指される。これは批判ではなく、我々の経済から切り離せないインセンティブ構造である。

2. 私たちがモノやサービスを生み出す能力は人類史上でかつてない高水準にある。そこから誰か(例えば失業者)を疎外することに論理的な理由はない。それは道徳に反する。

マクロ経済上の本質的事実

3. 大統領の娘が数日前にまさしく言ったように、人は働きたいものだ。全くその通り。

4. 貨幣は希少なものではない。民間部門も公共部門もキーボード入力で貨幣を生み出すことができる。もちろん、民間と公共ではそのメカニズムが異なっている。

5. 公共部門においては、あらゆる意図と目的のため、財務省と中央銀行が協調して行動し、この統合政府自身が貨幣創造をファイナンスしている。これは日常的に行われていることで、新しい話ではない。

6. 資源は、貨幣と異なり希少性があり、それは民間と公共の両方の部門でモノとサービスを生産する能力を制約する唯一のものだ。 たとえばアメリカの労働者人口を倍増させるといったことはできない。 労働者がそんなに多くはいない。給料を準備することはできても、実行できない。 非現実的だ。我々にはできないことがあるのだ。

7. 米国政府は、自国通貨建ての債務をデフォルトすることはできない。これは理論ではなく法則だ。 紙幅の関係でここに詳述することはできないが、背景知識としてはこのブログ投稿を見てほしい。

8. 公共部門の赤字は民間部門の黒字に等しい。これは理論ではなく、基本的な会計だ。政府支出が税収より多いのであれば、民間部門は4月15日の納税額よりも稼いでいるということになる。クリントン時代の財政黒字時代に民間部門の債務が激増した理由はこれだ。この論点もまた背景知識としてこの投稿がある。

その解決策

9. 遊休状態の資源がある場合、政府が新しく創出する貨幣を使用することによってそれらを有効利用しない理由は何もない。労働力のことだ。 石炭やジャガイモならば遊休していても大きな社会的/経済的問題にはならない。 しかし金融危機後の景気後退の最中に1500万人の失業者が存在しているなら、それは大問題だ。

10. 私たちにモノやサービスを生産する能力があり、働く意思がある人々が存在するときに、政府が行動しないなら道徳に反する。失業中の労働者を民間部門が雇うと利益を上げることができないことはある。そう、民間がそうする必要はない。

11. その場合、失業者は公共部門に雇われるべきだ。 国防、警察、防火、インフラの修繕、公教育、環境の清掃と保護、高齢者の介護など、利益を生み出さない社会問題が存在している限り、雇用機会は無数に存在している。心配するなら、私たちが全部の社会問題を解決し尽くす日がやって来てからすればよい。ついでに言えば、利益を生み出せる社会問題は民間部門に残しておくべきだ。

12. 私たちはすでにMMTを実行しているし、実行して来た!!!!! 財政赤字はいつも貨幣創造によって賄われてきたし、失業者を雇うために行動してきた経験もあり、非常に高い債務/ GDP比も問題なく管理されている。 MMTはある種の過激な政策だとして書かれる記事ばかり読まされるものだが、それはまともな批評を受けるよりも恐ろしい戦術だと感じる。MMTは過激なものではなく、私たちがすでに行っている事項について視点を変えたり、方向性を変えたり、再構成しようとするものだ。大きな話であるのは間違いないが、私たちが現在または過去においてやってこなかった事柄は何も含まれていない。

13. その政策でインフレになるのは、私たちが完全雇用状態にあるとき、供給能力を超えて需要を押し上げようとしたときだけだ。しかし、そもそもこの政策の目的が完全雇用に到達することにあるのだから、それを超えて継続する意味はない。タイヤに空気を送り続ければ、やがて爆発するだろうというようなものだ。そうなる前に送るのをやめるだろう。もともとドライブを再開したいだけなのだから。

主流による批判の評価

私はもう静かに座って無根拠な批判をただ耳に入れ続けることができなくなった。わが心の平安のために言わなければならないことがある。MMT、つまりはマクロ経済学の概要は上で正確に説明したので、ここからクルーグマン、サマーズ、ロゴフのコメントのレビューに移ろう。

上記で各項目に番号を付けたのは、以下で参照しやすいようにだったのだ。上が少々長くなっていたのは、彼らの批判に対して言っておかなければならないと感じたことを書き留めたからだ。さあ始めよう!

ポール・クルーグマン

MMTで政策運営すると (Wonkish)

これは賢いタイトルだね。“wonkish”という単語は癇に障るものがある。「私は賢く、読者は私が言っていることを理解できないかもしれない」と言っているようだ。はっきりそう言え!しかしまあ、無害なハッタリだ。

こう仮定しよう。FRBまたは他国の中央銀行は金利を設定できる。他の条件が一定なら金利を下げると総需要は増加する。

クルーグマンについては別のやつを取り上げた方がよかったかもしれない。こいつは即座にカタが着く。現実世界において、需要は金利の動きに影響されないというのは有名な話だ。何もMMTではなく、主流の研究でも示されている結果だ。これはFRBの研究。はい、初めからこの仮定が却下されるのであれば、これに基づいている残りの部分は無意味だ。余談だが、クルーグマンが使っているこのモデルはあまりに単純化されたもの(IS-LM)で、その発明者でさえ学部の教室以外で使えるとは思っていなかった代物だ。

ラリー・サマーズ

そして経済状況の変化に対応して新しい経済学的な考え方が開発されたのだが、それらは以前の正統性の破壊を反映したものになっている。

経済学の正当性崩壊は何十年も前に起こっている。MMTその他は昨今の経済状況の結果としてできたものではない。

そして今、それらの新しい考え方が、あたかもフリーランチが存在するかのように異端の経済学者達によって過度に単純化され、誇張されている。政府は誰にも負担を課さずに支出できる能力があると言うのだ。

”異端の経済学者達”についてははーコメント。しかし、フリーランチならサマーズの学派の国にも存在している。正統経済学において、生産可能性フロンティアの内側(例えばフルキャパシティ未満)にいる状態であれば何の犠牲も払うことなく生産を増やすことができる。但し、正統経済学は経済でが瞬時に完全雇用に至ると単純に仮定するので、これが論点にならない。#1を参照。

MMTと略記される現代貨幣理論は、現代のサプライサイド経済学だ。 あるまともな考え方 – つまり実質金利が低いときには伝統的な財政政策のタブーに捕らわれない必要がある…

MMTは「実質金利が低いとき」とは何の関係もない。もし今の政策金利が25%でインフレ率が0%だったとしても上の1から13は何も変わらないだろう。引用を続ける:

あるまともな考え方 — つまり実質金利が低いときには伝統的な財政政策のタブーに捕らわれない必要がある —というものも異端経済学にかかると、ジョブギャランティへの大支出ですら他の誰にも重荷を課すことなく中央銀行がファイナンスすることが可能であるという馬鹿げた主張になってしまう。

”異端の経済学者達”は…上で書いたか。この箇所は先ほどのフリーランチの話に戻る。失業者が雇用されることのどこに重荷が登場するのか?大不況は重荷である。完全雇用は重荷などではない。

第一に、MMTはどういうわけか紙幣を印刷することによって、政府はゼロコストで赤字を賄うことができると言う。

これが正確な主張かどうかは別として、どんなコストも支払可能だという原則と一致しない。#7

第二に、MMTの主張は誤りで、単に新しい貨幣を創出すれば、期限を迎えた債務を償還をしたりデフォルトを回避することができるというのは事実ではない。 いくつかの新興市場の経験が示すように、ある一点を過ぎるとそのアプローチはハイパーインフレをもたらす。

二点。1)インフレ的になるのは経済が完全雇用を超え続けているときだけ(#13を見よ)であり、2)紙幣の印刷がインフレを引き起こすこともない。貨幣を支出したなら引き起こしうるが、印刷しただけでは起こしようがない。さらに民間部門もまた貨幣創造ができることを忘れてはならない。

第三に、MMTは閉鎖経済という観点からすべてを演繹する。しかし彼らのように政府の財政赤字を中央銀行のファイナンスに頼る財政策は、おそらく為替レートの崩壊を招くだろう。

かもしれない。インフレになったならだが。#13を見よ。

繰り返すが、私の主張は単なる理論ではない。MMTの理論に反して、いくらお金を印刷しても内国債をカバーできなくなる事例は多数の新興市場で観測されている。同じことは産業経済にも当てはまる。 1981年のフランスのミッテラン政府と1998年のドイツのシュレーダー政府は、MMT風の政策アプローチを推し進め、結局は停滞を余儀なくされた。1970年代半ば、イギリスとイタリアはそれぞれインフレ金融に過度に依存したために、国際通貨基金に援助を求める事態になった。

はい、それも理論に過ぎない。誤った理論があるだけだ。上記のインフレの議論に戻るだけだ。

しかし、右派にせよ左派にせよ、フリーランチのようなものはありません。

いや、完全雇用に達していないときには、ご自身の学派の中にさえフリーランチは存在している。

ケネス・ロゴフ

2020年の選挙後に力を発揮するかもしれない米国の進歩派リーダーは、とりわけ現在は低インフレで低金利であるという観点から、広範囲にわたる新しい社会的プログラムに資金を提供するために、FRBのバランスシートを資金源として使えと主張している。

ここは根本的な誤解が表れている。 政府の能力を社会的プログラムに資金を供給するために使おうという話は、インフレや低金利とは全く関係がない。#5 と #13。

投資家が国債を保持することに消極的になれば、その通貨を保有することにも関心がなくなるだろう。

そうなったとしてFEDは無限に国債を買い取れるのだが、まあいい、こう言おう。完全雇用の国の債務を持つことに彼らが消極的になる理由は?#5 と#9を見よ。   

その国が貨幣を市場に大量投棄しようとすると、インフレが起こる。

ここには多くの議論の余地があるが、ここでは次の一つだけを。自国が完全雇用のときに国の債務を放棄する理由は何か。

一元的な計画経済(おそらく一部のMMT支持者の目標)に移行したとしても、この問題は解決されないだろう。

これは薄いベールをかぶせた攻撃だ。そのようなことを誰も示唆していないことを彼自身が明らかに知っている。だから「おそらく」なのだ。実際のケネス・ロゴフはとてもいい人だ。昨年、メリカ海軍戦争大学で彼と一緒にパネルを務めたものだ。 正直言って、彼が議論の前提や構造を離れてこのようなことを言うのはとても悲しい。

確かに、債務が永遠にGDPより早く上昇することはないが、かなりの期間にわたってそうなる可能性がある。

これは長い段落からの引用なのだが、この一文以上のことは書かれていないのでロゴフ教授もこの分がキーであることに同意だろう。「確かに」?なぜ? ロゴフは続く数段落でも同様の批判を続けるが、明らかに、「米国は財政支出のために借り入れをしなければならい」という前提に立っている。これは政府財政についての基本的な誤解だ。#4、#5、#7を見よ.

ロゴフのことで思い出すのは、債務の危険性に関するラインハートとの共著論文だが、後に深刻な(そして仮説を深刻に揺るがす)計算ミスがあることが発覚した。誤りが修正されたとき、債務と低成長の間の相関関係が消えうせた。関係する学術的な議論はまだまだあるのだが、Colbert Reportの報道が最高だ!

ロゴフの最後のパラグラフは誹謗中傷と、一元的な計画経済だというコメントからの連座の誤謬になっている。

結論

いま4、5、6時間かけてこれを書いたのは良かっただろうか。良かったのだと思う。同じことをすることは二度とないと思うが、学んだことがある。一般理論の緒言の中でジョン・メイナード・ケインズは書いている。(ついでながらケインズとケインジアンは同じものではない…長い話だ!)

著者にとって本書を書き上げることは、脱出のための長い苦闘だった。著者が読者を攻撃することに成功するならば、本書は読者にとっても長い苦闘ということになるだろう。これは伝統的な思考と表現形式からの脱出だ。登場する諸概念は全く単純で自明なものばかりだ。難しいのは、新しい概念それ自体ではなく、古い概念から逃れることの方なのだ。古い概念は、私たち教育を受けてきた者の心の隅々に充満しているのだから。

クルーグマン、サマーズ、ロゴフの批判を読みながら、私はケインズのこの言葉について考えていた。著名な経済学者たちはMMTを強く拒絶するのだが、強いのはむしろ正統派の見解への固執なのだ。わざとそうしているわけではなく、パラダイムシフトをすることが誰にとっても非常に難しいのだ。MMT、つまり正しく為されるマクロ経済学は、まさしくケインズが言うように「実に単純で自明」なものだ。難しさは、モデリング(クルーグマン)やインフレーション(サマーズ)や債務調達(ロゴフ)といった時代遅れの概念を回避することにこそある。

私は経済学における相反する見解についての授業を持っているが、今回のことはそのための良い教訓となるだろう。