R.レイのMMT入門 第一章第四節 政府債務は裁量的ではない:2007年大不況の場合

引き続き
第一章目次(あとひとつ!)

第一章 マクロ会計の基本


第一節 ストック-フロー会計の基礎
第二節 MMT、部門間のバランスと動き
第三節 ストック、フローとバランスシート(バスタブの比喩)
第四節 政府債務は裁量的ではない:2007年大不況の場合
第五節 実物の会計と金融(名目)の会計
第六節 最近の米国における部門バランス:ゴルディロックスと世界クラッシュ


1.4 政府債務は裁量的でない:2007年大不況の場合

以前の節で、三部門の恒等式を紹介し、三部門(民間、政府、海外)の債務と資産の合計はゼロであることを確認した。さらに、ただ恒等式を提示するだけでは不十分なので、因果関係についてどのようなことが言えるかを検討した。そこでは、世帯では収入が支出をおおむね決めているものの、経済全体のレベルから見るとこの順番は逆にするべきということだった。つまり、支出が収入を決めている。

個々の世帯は、貯蓄を増やすために支出を減らそうと決意することができる。しかし、もしすべての世帯がより支出を減らすと、総消費なり国民所得が減ってしまう。企業は生産量を減らし、労働者を解雇し、賃金を削減するだろう。これは有名なJ.M.ケインズの「倹約のパラドックス」 – 総消費を削減して貯蓄を増やそうとしても貯蓄は増えず、むしろ所得が減るというものだ。これについては下のコラムでもう少し述べる。

しかし、喫緊の問題がある。というのは米国(そして他の多くの国々)が債務ヒステリーに囚われてしまっているからだ。世界金融危機(GFC)の後、政府の社会的支出(例えば、失業補償)が増加し、税収は激減した。財政赤字が増大し、「終いには国が破産するのではないか」という恐怖、そして財政赤字を減らすための支出カット(そして増税)という動きが広まっている。国家的な議論において(例えば、米国、英国、およびヨーロッパ)、政府の財政赤字は裁量的なものだとされている。政府こそが十分に努力をしなければ、赤字を減らすことはできない、というわけだ。

しかし、政府赤字の削減を提案するならば、そのことが他の部門(民間および海外)の財政にどのような影響をもたらすかが十分配慮されていなければならない。なぜなら、財政赤字が減少するならば、定義により民間部門か海外部門の黒字(財政赤字の裏側の側面)が減少するからだ。このセクションでは、GFCに見舞われたあとに増加した政府財政赤字について見ていこう。財政赤字の増大は裁量的な制御の下で起こったのだろうか(あるいは制御できるものだったのだろうか)。そうでなかったならば、赤字を削減しなければならないという財政赤字ヒステリーに基づく施策自体に疑問符がつく。

2008年大不況の後、多くの国の財政が大幅な赤字に陥った。 (米国のケースについては、以下の図1.1を参照。)多くの人はこれは様々な財政刺激策(米国における自動車産業とウォール街の救済、アイルランドにおける銀行救済など)のためだったとするが、実際にはほとんどの国々における赤字への寄与は、自動安定化に起因するものが最も大きく、裁量的な支出からのものではなかったのだ。

このことは下のグラフから容易に読み取ることができる。このグラフは米国の状況でが、税収(ほぼ非裁量的)、政府消費支出(ある程度は裁量的)、および移転支出(ほぼ非裁量的。訳注:移転支出とは、生活保護費などの社会保障給付)を四半期毎の前年比で表したものだ。:

2005年の税収は絶好調で、その増加率は年あたり15%に上り、GDP成長率をはるかに上回っており、従って非政府部門の税引後利益は減少しており、また政府支出の伸び(ちょうど5%を上回る程度)よりも大きかった。このような財政引締めの後にはしばしば経済の低迷が続くのだが、GFCの後の低迷も例外ではなかった。 経済が低迷すると、ほとんどの場合自動的に財政赤字が増加する。低迷期間を通して政府の消費支出は比較的安定していた(2007–08年の一時的な落ち込み後)のに対し、税収の伸びは三四半期の間に5パーセントのプラスの伸び率が10パーセントの減少率に落ち込み(2007年Q4から2008年のQ2にかけて)、さらに2009年のQ1には15%のマイナスに達した。短期的な政府支出(2007-08年の短期間のスパイク後)、同社の成長率は5%の成長率からわずか3四半期に10%のマイナス成長率に急激に低下した(第4四半期 2007年第2四半期から2008年第2四半期にかけて)、2009年第1四半期にマイナス15%の低水準に達しました。経済が深刻に落ち込んだため、税収は崖から落ちました。経済の低迷が深いとき、税収は簡単に下落するものだ。

移転支出は、2007年以降10%を超える割合で増加したが、これは経済がダメになったためだ。無償給付の増加を伴う税収減は、財政赤字の増加につながる。救済措置や財政刺激でなく、この自動安定化こそが1930年代の大恐慌のように経済が果てしなく落ち込むことを防いだ主要因だった。景気が減速すると政府財政が赤字となり、これが総需要を下支えする。景気に対して反循環的な政府支出と、正循環的な税収という組み合わせにより、政府財政は強力な自動安定剤として機能する。景気が急落すると財政赤字は増加する。

世界的クラッシュの後、米国の世帯部門は急速に支出を切り詰め(不況時の常で)貯蓄を急増させた。財政赤字が急増した主原因は低成長だったのだが、その低成長の原因は世帯部門の貯蓄志向だった。次のグラフを見よ。

 

このグラフから、世帯貯蓄の顕著な減少トレンドが読み取れる。1980年台半ば以降2005年までに貯蓄は可処分所得の10パーセントからゼロ近くまで下落していた。その原因はこのセクションの射程を越えるが、その裏の側面は世帯債務の増加になる。GFCの後、このトレンドは急転し、世帯貯蓄は1992年の水準に戻った。失業と大多数のアメリカ人の収入が停滞(贔屓目に見て)したことによって見通しが不確実になってことから貯蓄志向が高まった。(貯蓄の増加率がそのまま三部門の恒等式における世帯収支に対応するわけではないことに注意。家計貯蓄の数字がプラスであるのに、部門バランス式における世帯は収入以上に支出していることになるのはこの理由からだ。物好きな人のための章末テクニカルノートを参照)

GDPの9パーセントに及んでいる米国の財政赤字(危機の後に到達している水準)を均衡収支まで持っていくためには、民間部門を赤字に反転させ、GDPの9%の金額を政府の黒字側に持ってこなくてはならない。これはとてつもない金額だ。問題は、支出削減や増税で収支を改善しようという試みが経済成長を妨げることにある。経済が減速すれば恐らく対外経常赤字が減少するだろう。アメリカ人が輸入品を変えないほどにを貧しくなり、給与が下がることによって輸出品の競争力増し、ドルの価値が下がることによって。これらは皆、アメリカ人が痛みを被る調整になる。但し、これは世界経済に影響することなくアメリカ経済だけが減速する場合で、世界経済も同時に減速するならば輸出は増えないだろう。

このセクションの要点をまとめよる。第一に、三部門の収支合計は必ずゼロになる。これは一つの部門の収支を変えることは、必然的に少なくとも他の一部門の収支を変えることを含意している。第二に、総計レベルでは、(主として)支出が収入を決めている。ある部門が収入以上に支出することは可能だが、それは他部門の支出が少なくなることを意味している。政府支出は多かれ少なかれ裁量的であることを認めるとしても、政府の税収(政府の収入に対応)は経済のパフォーマンスに依存する。上の図からわかるように、税収は著しく正循環的に変動する(好景気の時に増加し不況時に激減する)。

政府は常に、もっと多く支出すると決めることができ(政治的に制約されてはいるが)、また常に税率を引き上げることもできる(これも政治的な制約があるが)。しかし政府は税収がいくらになるかを決めることはできない。なぜなら税率は、所得や売上、資産といった政府のコントロール外にある変数に影響するからだ。それゆえ、財政収支がどうなるか、つまり黒字か赤字か均衡であるかは、裁量的に決められるものではない。

海外部門に目を転じると、輸出は概ね国のコントロールの外にある(「外生的」または「国内収入に対して自律的」であるなどと言う)。たくさんの要因の要因に依存している。海外の成長率、為替レート、貿易政策、そして相対価格や相対賃金などだ(さらに輸出を増やす政策が海外に影響を与える)。国内の経済状況が輸出に影響するのは確かだが、緩やかに影響するだけだ(そして米国のような大輸入国の経済減速は世界経済の減速を招きがちで、その結果輸出は増やしにくくなる)。

対して、輸入は国内所得に概ね依存している(加えて為替レートや相対給与や相対物価や貿易政策に。そして米国が輸入を減らそうとすれば、貿易による成長を目指す相手国に確実に影響を与えるだろう)。輸入はまた概ね正循環的でもある。結論としては、対外経常収支の結果、つまりそれが赤字か黒字か均衡であるかは、やはり裁量的に決めることができない。

裁量で決められるものは何だろう? 国内の支出、世帯や企業や政府による支出は裁量的と言える。そして支出は収入に制約される。

部門間の収支はしかし、裁量的に決められるものと考えるべきではない。なぜなら裁量的な変数以外に、裁量の及ばない変数が複雑に絡み合っている上に、マクロ恒等式の制約があるからだ。一番意味があるやり方は、まず国内のリソースが最大限近くまで利用されるように支出を促進し、部門間バランスは、その結果として落ち着くところに落ち着くと考えることだ。後で論じるように、最善の国内政策とは完全雇用と物価安定を目指すことであって、政府債務の額や債務上限のように基本的に非裁量的なものは目指すべきものではないのだ。

 

コラム:倹約のパラドックス、およびその他の合成の誤謬

マクロ経済学での一番重要な概念の一つが「合成の誤謬」だ。これは個々の主体にとっては正しいことも、社会全体としては正しくなくなるという事態を指す。この代表例が倹約のパラドックスで、個人の場合は(消費への)支出を減らすことによって貯蓄できるのに対し、社会は(投資などへの)支出を増やすことによってしか貯蓄を増やせないというものだ。この例は合成の誤謬の核心を突いている。

高校生やマクロ経済学に触れたことがない人たちは、当然のことながら、自分自身の個人的な状況から社会や経済全体のことを推し量る。このことがしばしば合成の誤謬の問題につながる。 もちろんこれは経済学だけのこととは限らない。ごく 少数の人々は混雑した映画館のドアを素早く出ることができるが、私たちにはできなかったりする。

消費の支出を減らせば誰でも貯蓄を増やすことができる。貯蓄しようと決めることが収入に影響を及ぼさなければだ。そして収入が変わると考える理由がない場合は予定通り消費と減らし貯蓄を増やすことになるだろう。私がこの説明をするときにはメアリーを登場させる。メアリーは地元のファーストフードチェーンで毎日ハンバーガーを食べていた。あるとき彼女は貯金を増やすてために、週に一回ハンバーガーをあきらめることにした。 彼女がこの計画を守ると、貯金(金銭的な財産)は毎週増えていくだろう。

ここからが問題だ。もし誰もがメアリーと同じことをしたら – ハンバーガーの消費の減少は総貯蓄(そして経済的富)を増加させるだろうか?答えは増加しない、となる。何故だろうか? ファーストフードチェーンはハンバーガーの販売数が減るので、労働者を解雇したり、パン、肉、キャットアップ、ピクルスなどの仕入を減らしたりなどするからだ。

失業した労働者は全員所得が減るので貯蓄を切り崩す必要に迫られる。ここで乗数という考え方を使うと、仕事を失った人々による貯蓄切り崩し額の合計と、ハンバーガーの消費を減らすことで貯蓄を増やした人々の貯蓄増の合計が等しくなることを示すことができる。全体レベルでは、貯蓄(金融資産)の蓄積は起こらない。

もちろん、これは単純すぎる例だが 伝えたい大事なことは次のことだ。個人が貯蓄を増やすことに注目する場合、そのマクロへの効果はごくわずかなので、経済全体に与える影響は無限に小さく無視しても差し支えない。しかし、誰もが貯蓄を増やそうとする場合では、経済全体での支出減少の影響を無視するわけにはいかない。ここが、はっきりと理解しなければならないポイントだ。